昨日は揚げ物パーティで腹回りが元気な
KING OF LEATHER宇高です。
一昨日は夕飯を喰らった後、そのまま居間で死んだように寝てしまい気づいたら朝。
何度も嫁に起こされた気がするが、身体がびくとも動かず・・・・。
でもまだ若いようで、ちょっと寝ればまたピンピンしてます。
休みは家族でゲームをしたりしている。
平日はあまり子どもとの時間をとれないから、休みは思いっきり一緒に遊ぶ。
今、子どもの中のブームはゲームだから、親子そろっておもいっきりやる。
ゲーム機をへし折ってまで制限かけることが必要という声もあるかもしれないが、うちの子に限っては思いっきりやると心が満たされて、他のことにも身が入るタイプ。
人生は短い。家族でゲームして盛り上がれるのも今の時期だけかもしれない。
「いつか」なんて思って生きていたら、人生はあっという間に過ぎてゆく。
我慢することが先で、そのあとに楽しいことが待っているみたいなことより、思いっきり楽しんだあとに我慢するってのもありかと思う。
うまくいかないときは発想を逆転してみるんだ。
縫わないって革製品もそういうところから生まれた。
先日小学校で「生まれること」についての授業参加があった。
その日までに生まれてから現在までのことを親子で用紙にまとめた。
正直最初は面倒な作業だったが、目まぐるしく過ぎていた日々を思い出す機会に、なんだか胸が熱くなっていった。
課題のまとめに親から子どもに、今までのこと、これからのことについて内緒で手紙を書くという内容のものがあった。
夜子どもが寝静まってから、妻とふたりで手紙をしたためた。
授業参加の最後にその手紙を子どもたちに渡した。
他の親御さんがどのようなことを書いたのかはわからないが、子どもたちの嬉しそうな顔が忘れられない。
それで終わりではなかった。
その数日後、今度は子どもから親に向けて手紙をもらった。
文章を書くのが苦手な娘なのに、すごく長い文章で書いてあった。
その内容にはすごく驚かされた。子どもなりにいろんなことを感じて生きているんだということ。
毎日、見ていないようで親のことをよーく見て生きているんだということ。
親が育てられるってこういうことかって。
なんとなく最初は小学校のちょっとめんどうな課題だと思っていたが、愛しているということを素直に「愛している」ということが、どれだけ人を変えるのか痛感した。
爪楊枝を愛しているからこそ、生まれた革製品がある。
歳をとるとこうやって丸くなっていくんだなと。
若いころの尖った感じも、すべてが悪いことじゃない。
ただ、丸くなることで、生まれる革製品もある。
同じ生活をしていても皮肉を感じて生きれば、モノクロに。
心に愛をもって生きれば、きっと物事はカラフルにみえてくるのだと思う。
ときに世間からはみ出しているといわれても、自分の意思を貫かねばならない。
子育てにおいていえば、いろんなタイプの子どもがいて、そして親がいる。
いろんな育て方があって、いろんな人間がいて当然だと思う。
ただ、ひとつ思うのは 投げやり になってはいけない。
心を込めて必死で悩んでこそ、正しいも間違いもないところへ導かれていく気がする。
わたしの ものづくりというのは 人生そのもの